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特別単独公演「CRYAMYとわたし」

日比谷野外大音楽堂

​-冒頭-

「CRYAMYとわたし」。特別単独公演。

2024年6月16日。CRYAMY日比谷公園野外大音楽堂単独公演。直前の予報が覆り、雲一つない晴天の中行われた「最初で最後の日比谷野音単独公演」と銘打たれた特別なライブ。当初販売されたチケットは完売し、開催の直前には急遽、追加の立ち見チケットも販売された。その後、最終的にチケットは全券種が完売。約3000人収容の大会場に全国から大観衆が、彼らのために一人一人が、全国各地から集った。

その顛末は、演奏時間は野音の音止め時間ちょうどまで演奏が鳴らされ、合計きっかり三時間半。全34曲。捨て身、命懸けという言葉でも表すことができるのかわからないほどの壮絶なライブ。


この日の演奏は、間違いなく、CRYAMYが繋いできた長いようで短い歴史の中で、史上最高のライブであり、大袈裟でもなんでもなく、歴史に残るような…残そうとは本人は微塵も思ってはいないかもしれないが…それでも深く残ってしまうような、そんな素晴らしいライブだった。

CRYAMYの2024/6/16の日比谷野音のステージは、そもそもがその成り立ちからして非常に特殊なケースを辿った特別な会場だった。

彼らの集大成となった最初で最後の日比谷野音単独公演は、日比谷野音の会場使用権の抽選参加から獲得、当日運命を共にしたスタッフの確保、果てはスピーカーやサウンドシステムなどの機材の手配まで、一才をレコード会社やイベント会社などの巨大な組織やコネクションに頼らず、彼らの活動を通した歳月をかけて全て彼ら自ら作り上げた信頼関係の中で行われたのだ。


そもそもの会場確保から始まった、準備期間の1年間は非常に長い歳月であり、そのさなかにこなさなくてはならないことや数多くの課題や難題を、CRYAMYを構成するすべての人間が汗をかき、血を流して作り上げたものである。
そういう意味では、ここで演奏してきた大勢のバンドたちが行って来た公演とは大いに意味合いは違うのではないか、と思う。この世の多くのバンドがそうであったように、既に枠が用意され、潤沢な予算をもってプロモーションされ、権力ある誰かによってお膳立てされ盛り上げられたのではなく、彼らの足で、手で、運命で、何より気持ちで掴み取り、作り上げられた舞台。


ここに集った非常に多くの来場者が何の気なしに見つめるステージは、実にその裏で多くの血と汗が流され、それが結実して実現したものなのだ。

しかし、日比谷野音のステージには特別な演出は特に見られなかった。掲げられているのは「CRYAMY」のロゴをあしらったフラッグのみ。そして、それを囲む簡素な照明機材、ステージ両脇に添えられたスピーカーがあるだけ。それでも会場の空気や漏れ伝わっていたであろうこれまでの彼らの壮絶な歩みも相まって、未知のものを見せられている気分になる。中央にまるでいつもとなにも変わらない、ライブハウスでの演奏の際と変わらない距離感で、ステージの広さに反して非常に小さくまとめられた楽器と機材の一式。


奇も衒いもない剥き出しの、普段の彼らが立ってきた戦場であり聖域。それが丸ごと移動して、あるいはこの広い世界のどこにも居場所なきまま追いやられて、最終的に日比谷の地に造られて、しっかりと存在してしまっていることが不思議だった。

そこで行われた極限状態の、体が沸騰して消えて無くなってしまうのではないかというほどの異常なテンションで鳴らされたカワノ、フジタ、タカハシ、オオモリの演奏。会場に集った約3000人から押し寄せる何もかもを携えた万感の思い。特別な1日となるには十分な、異常な緊張感と高まり切ったムードを持った日比谷野音に、轟音は響き続けていた。

繰り返すが、間違いなく、この日行われた彼らのせいいっぱいの演奏は、彼らのおこなってきたこれまでのすべてのライブを飲み込んだ上で吐き出され、作り上げられた最高のステージだった。そんな三時間半だったのだ。

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